少女雑誌の勃興と漫画追放運動。自分ひとりで、自分の決めた道を歩まんとしてきた上田としこの前に現れたひとりの男。周囲の猛反対の声にも耳を貸さず、小新聞社の新聞記者、政治ゴロとも噂されるその男ととしこは結婚する。1950年(昭和二十五)、世の中は戦後復興の渦中にあった。次々に創刊される雑誌、新しい家庭、そして新しい漫画。
漫画家・上田としこ。1917年(大正六)生まれ、2008年(平成二〇)没。 これは、まだ誰も歩いたことがなかった「…
漫画家・上田としこ。1917年(大正六)生まれ、2008年(平成二〇)没。日本にまだ誰も「女」の漫画家がいなかった時…
漫画家・上田としこ。1917年(大正六)生まれ、2008年(平成二〇)没。「漫画家は屑拾いと同じだ。世の中の色々なこ…
「世間知らずのお嬢さんに漫画は描けない。働いて世間を知りなさい」漫画家・近藤日出造に言われ、満州で働き始めた上田とし…
1945年(昭和二〇)、上田としこは28歳。日本が戦争に負けた時、としこは満州の地で働いていた。もしも、叶わないもの…
1946年(昭和21)11月、上田としこ一家は父を満州に残して日本へ引き揚げた。日本は敗戦から一年以上経っていたが、…
少女雑誌の勃興と漫画追放運動。自分ひとりで、自分の決めた道を歩まんとしてきた上田としこの前に現れたひとりの男。周囲の…
「少女クラブ」1953年1月号より、手塚治虫は『リボンの騎士』の連載をはじめる。その当時、上田としこは売れっ子漫画家…
『フイチンさん』の連載は人気の絶頂にあった。次々にアイデアもセリフも湧き、上田としこものっていた。そんな折、掲載誌「…
時代は「漫画の時代」になった。さらに漫画は動きはじめる。「テレビまんが」──────アニメーションがテレビ放送され、…