「武士道といふは、死ぬことと見つけたり」 常に死を覚悟して事にあたれば、出来ぬことなど無し。鍋島の「曲者」とは、そういう覚悟をもった者のことである。その信念を抱いて光茂の小姓となった時、松亀(後の山本常朝)はわずか9歳。その後、光茂の熱望した「古今伝授」のために古今和歌集全二十巻一千百十一首をすべて諳んじてみせ、藤原定家の子孫・三条西家との交渉をねばり強く続けたのもすべては主君のため。現代人が忘れ去った「何か」がここにある。
直木賞作家・安部龍太郎が、武士道の代名詞たる『葉隠』を佐賀鍋島藩の成り立ちと数多の“曲者”たちの物語として描いた傑作…
「武士道といふは、死ぬことと見つけたり」 常に死を覚悟して事にあたれば、出来ぬことなど無し。鍋島の「曲者」とは、そう…